京都で花魁体験を10倍楽しむ為に

花魁について

花魁とは、上級の遊女の事を言います。諸説ありますが、妹分の女郎が姉の女郎に対し、「おいらの所の姉さん」という風に読んだことから来ていると言われています。上級の遊女に対して、そこに出入りする奉公人だけではなく、お客さんたちも花魁と呼んでいたそうです。唯一、公に許可が出されていた吉原は、岡場所など、その他とは違い、格式が高いと認識されていました。花魁という呼び名は、吉原独特の呼び名だったそうです。上級の遊女を花魁、下級の遊女を新造と言います。新造にも更に2種類に分かれ、振袖新造と番頭新造に分かれます。振袖新造には個室も与えられず、二十畳ほどの部屋で何人もの人がまじり合って暮らしていたそうです。

そして、番頭新造には、花魁の雑用を引き受ける役目があったそうです。禿も、番頭新造と同じく、花魁の雑用係として付き、妓楼でのルールを学んだり、遊女としての教育を受けたそうです。禿は十歳前後の子どもでした。15歳前後で新造になったそうです。禿が新造になる時のお披露目を、新造出しと言ったそうです。また、遊女を買うときの代金を揚代といいます。上級の遊女である花魁にも、「呼び出し昼三」と「昼三」という2種類に分かれ、揚代や、与えられる個室などにも差があったそうです。

妓楼にも、大見世、中見世、小見世の3種類に分けられます。それぞれのお店によるランク付けがあり、そのお店によっても、遊女の揚代は異なっていたそうです。

花魁さんには独特なしきたりがありました。お座敷では、遊女が上座に座って、お客さんが下座に座っていたそうです。花魁はお客さんよりも位が高い存在だったことが分かります。また、花魁さんには初会、裏、馴染みという手順があったと言われます。1度目では、遊女はお客さんとは距離を置き、一緒に飲食をすることもなく、口すらも利かなかった。2度目では、少しだけ近くに寄るものの、その他はほとんど1回目と同じだったと言われています。3度目にしてやっと馴染みとして認められ、お客さん自身の名前の入った箸とお膳が用意されたそうです。床入れも3回目からとなりますが、馴染み金というご祝儀を支払わなければならず、更に、馴染みになると、他の妓楼の遊女に会いに行くことは出来なくなるそうです。馴染みのお客さんは一人の遊女に対して複数おりますので、指名が重なってしまうこともあります。その時は、あるお客さんは放っておかれ、あるお客さんは寝床に来てくれるという事がありました。放っておかれ、棒に振られることを「ふられる」といい、また、寝床に遊女が来てくれることを「もてる」といったそうです。遊女に会える場合にも一人で眠る場合にも、同じ揚代が必要だった為、怒り出すお客さんもいたそうですが、基本的にはそれは粋ではなく、ふられる事も分かった上での駆け引きを楽しんでいたそうです。

また、吉原で働く遊女は、最終的にどのような人生を送っていたのでしょうか。美しさにも恵まれ、人気も兼ね備えたほんの一部の遊女だけが身請けされ、ほとんどの遊女は年季が明けるのを待っていたそうです。吉原の遊女には、年季は最長で10年、27歳までというルールがあったそうですが、10年を終えても、違う妓楼に売られてしまうこともあったそうです。また、その遊女がお客さんを取った時からの10年間には、たくさんの出費もあり、その出費の為に借金を背負わなければならないケースも多かったそうです。年季が明けたあとでも働き続ける人もおり、病気や栄養不良など、さまざまな原因により、健康なまま年季を明ける遊女は少なかったそうです。