京都で花魁体験を10倍楽しむ為に

花魁の髪型について

このコラムページでは、実際の花魁さんがしていた髪型についてまとめさせて頂きました。「心」グループで行っている花魁体験のヘアアレンジは、地毛を使った日本髪風の髪型や、ハーフウィッグやフルウィッグを使って洋風に仕上げたり、伊達兵庫風髷というオプションで、より古典的な花魁さんに近づけた仕上がりでご体験頂いております。実際の花魁さんは、どのような髪型で過ごされていたのでしょうか。

江戸時代の初期に、吉原で人気の勝山という遊女がいました。違法行為である湯女として働いていた勝山は、逮捕され、吉原に移り住む事となります。その後、勝山は、当時吉原で最高ランクだった太夫へとなっていきます。

当時の花魁さんは、遊女でありながらその時代のファッションを先導する存在としても人気を博しておりました。

特に勝山は、一般の女性達にも人気があり、目立つ外八文字の歩き方をはじめ、勝山髷(かつやままげ)という髪型を考案し、その上品で美しい髪型は、多くの若い女性にマネされていったそうです。更にその勝山髷は、江戸の中期には遊女の間で広まりましたが、変形をして名前も変え、丸髷と呼ばれ、江戸の後期以降には既婚女性の髪型として更に広まっていったそうです。

花魁道中

このように、吉原遊郭から広まっていく髪型や飾りなどもあり、吉原遊郭の花魁さんと歌舞伎は、流行りを作っていく存在だったそうです。

一般的に、花魁さんの髪型としてイメージされやすいのは、伊達兵庫髷ではないかと思います。後頭部に左右2つに分かれた髷を、耳のように上にピンと伸ばした髪型です。更にその2つの髷を横に広げた髪型を横兵庫といい、それも吉原の花魁さんに多く見られた髪型でした。

太夫という遊女の最高の位が存在していた頃には、太夫は伊達兵庫を結われていたそうです。その後、伊達兵庫の人気は一旦無くなり、島田、勝山といった髷が多くなっていきます。その後、改めて人気が戻ってきた伊達兵庫は、島田髷や勝山髷と同じく、広まりながら形を少しずつ変えていき、一般女性の間にも浸透していったそうです。

花魁さんの最盛期には、花魁道中の際の簪の数もとても多く、前挿を8本、後挿を8本と、更に櫛を2、3枚、そして笄(こうがい)を挿していたそうです。花魁さんの簪の材質は、鼈甲象牙といった、とても高価な簪を使用していたそうですが、時期の流れや遊女の位により、挿している簪の数は変わったそうです。

花魁簪にもさまざまな種類があります。芳町(よしちょう)というまっすぐで平らな簪や、松葉(まつば)という先端が松の葉の形になっている、尖った簪、そして、円形の飾りに足がついた平打ち簪があります。鼈甲(べっこう)という材料は、名前は聞いたことがあっても何で出来ているかご存知無い方も多くおられると思いますが、鼈甲は、ウミガメの甲羅から出来ています。花魁さんの簪に使用していた物は、鼈甲の中でも白甲(しろこう)と呼ばれるとても上質な物だったそうです。

花魁道中

奢侈禁止令(しゃしきんしれい)という言葉をご存知でしょうか。奢侈とは、贅沢な行為の事で、「身分不相応な贅沢は身を滅ぼす」という考え方のもとに、贅沢をしないよう、一般の人々の服装を制限する為の法令がありました。着ている着物から、身に付けている装飾品についても注意を受けてしまうという事です。もちろん、花魁さんが使用する鼈甲の簪も例外ではありません。では、江戸の人々はどのようにそういった厳しい検問を抜けていたのでしょうか。答えは、簪の先の部分にあります。簪の先端が曲がっているのをご存じでしょうか。…まるで耳かきのように。花魁さんはもちろん、江戸簪の先端が曲がっているのには「これは簪ではなく耳かきですよ。」という、装飾品ではなく実用品だと言う為の工夫でした。もちろんどう見ても頭に16本も挿しているそれは、耳かきというにはムリがあるようにも思えますが、江戸時代にみられる、一種の「粋」なのかもしれません。