化粧について「黒と紅」

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今回は前回紹介させて頂いた三色美の「白」に引き続き、三色美の中の「黒」「紅」をテーマにお話ししたいと思います。

何色にも染まらない不変の色?「黒」

江戸時代、女性は結婚が決まるとお歯黒をし(半元服)、子供を産むと眉を剃った(本元服)とされています。

眉については、麦の穂が腐って黒くなった物を手で揉んで粉にしたものや、行灯などの灯火の油煙を眉墨にしていました。 メイクに於ける重要ポイントである眉ですが、眉でメイクの印象って大分変わりますよね。

当時は表情を露わにしない様子が色っぽく見え美しいとされており、歯を黒く染めることは結婚した女性が男性に対して貞節(ここでは女性の男性に対する純潔)を表す意味でなされたといいます。

一人前の花魁の証?お歯黒

お歯黒

当時のお化粧は、未婚・既婚の区別ほか、その女性の身分を象徴するものでした。 とは言え実際はある一定の年齢になると既婚・未婚を問わずお歯黒をし、眉を剃っていたそうです。

江戸吉原の遊女が結婚をする事は無いのですが、人気の高い遊女は一人前の証としてお歯黒をしていました。それにはお客に対する誠意のしるしの意味もあったようです。遊女の歯が白くなることは、すなわち年季が明けたということを意味します。

年季が明けた遊女…吉原にも年季(務めを果たす約束の期間)があり「10年、27歳まで」という原則がありました。

現代のお歯黒

明治時代初期まで続いたお歯黒ですが、もう見られないのかというと違います。

現代では舞妓さんが芸妓さんになる際に行われる襟替えという儀式があり、襟替え前の2週間は黒紋付に先笄(さっこう)という髪型にお歯黒を施しています。

高級品だった紅

当時小さく薄くつけるのが良いとされていた紅。紅花の花から色素を抽出して作っており、この作業はとても手間がかかる為、上質な紅はとても高価なものでした。

江戸時代後期になると、下唇だけに紅をたくさん重ね塗りすることで玉虫色にした「笹色紅」という方法が流行りだします。 きっかけは遊女の流行から始まった笹色紅でしたが、庶民の間でも賢く真似をする方法として、唇にベースとして炭を塗って黒くし、その上から薄く紅をつけるという方法で代用していたそうです。

笹色紅

江戸時代の女性たちは白・黒・紅の三色を使って、上手く自分の欠点をカバーしながら流行に乗ったメイクに仕上げていたようです。今も昔も自分をより良く見せたいという共通認識のもとメイクを行なっていたと言えます。

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