京都には数多くの絶景ポイントが存在しますが、京都岡崎店【スタジオ エスペラント】の近くにも『蹴上インクライン』という観光名所があります。
線路上を歩いているイラストのような写真が撮れる場所です。何の線路かというと、昔は京都~滋賀を結ぶ琵琶湖疎水から物資を運ぶため、船を使っていたのですが、落差が大きい場所は船では運行できないため、台車に船を乗せて運んでいました。その台車が走っていた線路です。現在は国の史跡として整備されて、春には桜の名所として毎年賑わっています。
蹴上という地名の由来
前置きが長くなりましたが、今回は線路についてでも桜についてでもなく、『蹴上』という名前は何が由来となっているかについてのお話をさせて頂きます。【けりあげ】と読みたくなりますが、【けあげ】が正しい読み方です。一見、何かありそうといえばありそうで、意識しなければ特に何とも思わない地名ですが、蹴上という名前になるまでに、少しばかり恐ろしい由来が二つあります。
ひとつめの説
一つはその昔、京都の九条山には粟田口刑場という京都一の処刑場があり、そこでは計一万五千人もの人が処刑されたそうです。当時京都には約二十万人住んでいたそうですが、十三人に一人が処刑された計算になります。恐ろしい数ですよね、、、。 受刑を拒み、抵抗する受刑者を蹴り上げながら連れていったことから蹴上という名前ついたという説です。
ふたつめの説
もう一つはかの有名な源義経が奥州に向かっている途中、正面からやって来た10人の武士とすれ違った際に、乗っていた馬が蹴り上げた泥水が義経の衣類にかかり、激怒した義経が9人の従者を斬り殺したうえ、主人の耳鼻を斬り落としたという逸話が元という説です。様々な伝説を残している義経ですが、理不尽な行為もしていたんですね.、、、。ちなみに、そのあとに刀についた血を洗い流した場所には御陵血洗町という町名も残っています。
以上が蹴上の名前の由来となった逸話です。
もしかすると、皆さんが住んでいる町の名前の由来にも、恐ろしい逸話があるかもしれませんね。
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