花魁体験をお考えの皆さまも、一度は「花魁道中」という言葉を耳にした事があると思います。花魁さんが高い下駄を履いて、華やかに歩かれる光景は、その美しさから映画などでもひと際目立つ印象的なシーンとして使用されることが多いですが、その花魁さんは、どこからどこへ歩かれているのでしょうか。
京都島原「太夫の道中」
まず花魁道中の始まりとして、お客さんから招かれた太夫(たゆう)が、妓楼(ぎろう)から揚屋(あげや)へ移動する「揚屋入り」を行う際の移動のことを「太夫の道中」と呼んでおりました。
✓揚屋(あげや)…客が上流の遊女を呼んで遊興するお店のこと。
その揚屋へ行ったお客さんは、馴染みの太夫を指名します。すると揚屋から、妓楼にいる太夫へ連絡が行きます。指名を受けた太夫は、お客さんが待っている揚屋へ迎えに行くのですが、その際、太夫は引舟女郎(ひきふねじょろう)を1人から2人と、禿(かむろ)を1人か3人、また、下男(げなん)を1人連れて揚屋へと歩きます。その後次第に、より豪華に美しく見せようと競うようになっていきます。そのようにして出来ていった太夫の道中は、人気の太夫の見物目的で集まる人だかりが凄かったと言われています。
✓妓楼(ぎろう)…遊女を置いて客を遊ばせることを業とする店。遊女屋。女郎屋。妓楼にも、大見世、中見世、小見世の3種類に分けられます。それぞれのお店によるランク付けがあり、そのお店によっても、遊女の揚代は異なっていたそうです。唯一、公に許可が出されていた吉原は、岡場所など、その他とは違い、格式が高いと認識されていました。
江戸吉原「花魁道中」
江戸吉原でも同様に、お客さんがまず引手茶屋(ひきてぢゃや)や揚屋へ行き、宴の時間を過ごし、芸者が行う芸を眺めたり、お酒を飲んだり食事をしながら時間を過ごしている間に、花魁さんはお客さんの待つ揚屋へと向かいます。揚屋への移動には、高さ18cm程もある黒塗りの大きな三枚歯下駄を履き、八文字を描くように歩いて進み、この移動のことを「花魁道中」と呼びます。花魁道中のイメージとして最も知られているのが八文字の歩き方だと思います。
内八文字と外八文字
八文字の歩き方にも2種類あり、京都で行われていた太夫の道中は内八文字という歩き方でした。その名の通り、足を前に進める際に、内側に踏み出し、円を描くように美しい曲線で歩きます。内側に内側に足を進める歩き方により、品のあるおしとやかさを表しています。 それに対し、江戸吉原の花魁道中で広まった外八文字は、外に足をおしとやかに歩く内八文字に比べて、より動きも大きく、色気があり、花魁の持つ華やかさを表現するのに適した歩き方であったと思われます。
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